夢はでっかく専業主婦

限界共働きの限界社畜の限界経産婦、最近の夢はサザエさんです

突発過去編 〜出産〜

前回の突発過去編からもうすぐ300日が経とうとしていますね、私がワニなら3回死ぬところでした。

というわけで、出産のときの思い出を振り返りたいと思います。

 

まず太郎くんの誕生日は8月27日ですが、出産の一部始終は前日、26日の夜から始まります。陣痛ですね。

夜の7時くらいからなんか痛いなーとなってきて、仕事中の夫に連絡。片道80kmほどの我が実家まで飛んで駆けつけてくれました。

この時点で8時くらい。ちょうど陣痛も10分おきを切ってきたので産院に連絡。まあまあ痛いし波がある時はちょっと動きたくないくらいの痛さでしたが、それでもまだ耐えられる痛みでした。それで病院に着いて諸々受付をし、陣痛室で待機することに。

しかし時はコロナ禍。せっかく来てくれた夫ですが、一緒に陣痛室に入ることはできません。まあここで実家には駆けつけるという心持ちが大事みたいなところはありますね。

 

そして1人陣痛室に入ります。

暗めの室内、段々と波が短く、大きくなる腹の痛み、助産師さんもずっと付きっきりというわけではない、腹痛に叫んでも一人、あと深夜だから眠気も来る、失神みたいに寝る、でも痛みに起こされる、お腹の圧迫で吐き気もする、ていうか吐いた。

陣痛が深夜帯に被るのはなかなかしんどいということはよくわかりました。

それから子宮口が開いて分娩室へと移動になったのは空がうっすら明るくなり始めた頃。

そこに入ってもすぐ赤ちゃんが出てくるわけではなく、ちょっと出てきそうになるのを我慢したり、痛みに耐えたくてもそばにあるもの掴んじゃダメと言われたり。力を逃すのもつらいものです。

外では段々空が明るくなっていきます。窓からは小さい頃によく遊びに行った大きめの公園がよく見えました。痛い痛い騒いだり軽く失神したりしながら、夜明けから朝へ日が昇る公園を眺めていました。

 

そして時刻はもうすぐ7時になろうという時です。

臍の緒が赤ちゃんの首に巻きついていたとかで、赤ちゃんの酸素状態はよろしくないようでした。それで赤ちゃんを早めに外に出すために、そういうわけで会陰切開も行われます。後述しますがこれが後々、産後の体にダメージとなっていくのです。

そして大きな頭出てきて、麻酔してても裂けるような痛みを感じながら、赤ちゃんの体は無事全部出てきました。

自分の体越しに見た頭部はまだ覚えています。

夜から始まり朝になって、無事太郎くんは産まれました。

 

我が子を見たときの感想は、まず「100%父親似だな」でした。実際今もスクスクと父親似に育ってきています。運動神経も似るといいね。

あとは生まれたての子どもってやたらと手が大きく見えましたね。段々成長してくるとちっちゃいおててに見えるんですが。

 

まあその後は産まれた直後に急患が入ったりして分娩室から人が出払ったり、赤ちゃんの鳴き声がやたら大きかったりだ何だして、あれよあれよという間に横になったまま時間が過ぎていきました。

母子共に健康に問題なしとして、入院部屋に通されます。ちなみに四人部屋でした。

このとき太郎くんは新生児室に移動になり、ひとまず1日は完全に離れる形となりました。とはいえ家族からの連絡ラッシュに付き合ったり、産後3時間後に職場の後輩からの業務質問ラインに答えたりと、あまり気は休まりませんでしたが。

 

そんなわけで無事太郎くんを出産した記念すべき1日は終わりました。この後に地獄が待っているとは知る由も……いやなんとなく知ってた気がする。

というわけで次回、産院編も楽しみにしてくれよな!